ワンフー曰く、「鍵屋崎と安田は親しい関係らしいっスから、鍵屋崎にヨンイルさんの

漫画を安田から返してもらえるように頼んでみたらどうっスかね?」作戦を実行すべく、

ヨンイルは自分の席を立った。

ワンフーは自分が行くと言ってきかなかったが、こんなことにお前を巻き込めるかい!

と、丁重に断りをいれ、一人鍵屋崎の座っている席へと向かう。

 

 

 

本来このような自業自得の事態の場合は、人の力など頼らずに自分でどうにかするのが一

番だとヨンイルは思う。

しかも、今回力を借りようとしている人物はクラスメイトだが、話したことはおろか、

顔も名前も知らなかった人物だ。

そんな相手に力を借りるなど、多少は後ろめたい気持ちに苛まれる。

 

だが今は状況が状況だけに、そうも言っていられない。

命よりも大事な漫画のことならば、話は別なのだ。

ヨンイルが土下座して誤ろうが裸で逆立ちして校庭100周しようが、安田に没収された漫画は

返ってはこないだろう。そんなことは実行する前から目に見えていた。

 

 

いや、ヨンイルは実際謝ったのだ、授業が終わってから10分間も。

それこそ土下座をする勢いで謝ったにも関らず、安田はヨンイルの存在などまるで空

気だというように綺麗に無視をし、漫画を返すことはおろか、取り合おうともしなかった。

 

 

そんな相手をどう攻略したらいいか、下手なギャルゲーよりも難しい。

そんなときに舞い込んだワンフーの話に、ヨンイルは食らいつかないわけにはいかなかった。

そう、このまま漫画が返ってこないという事態に陥ったら、ヨンイルにとってはそれこそ

大げさでなく死活問題だ。

 

 

 

 

 

一歩一歩鍵屋崎に近づくたびに、何故か緊張が増していく。

なんや、俺らしくもない・・・と、心中で呟くが、緊張が解ける様子はない。

むしろ心拍数は上がるばかりだ。

第一印象が別世界にいる人間のようだと思ったのが原因だろうか。

それとも、鍵屋崎が発するどこか人を寄せ付けないような雰囲気のせいだろうか。

 

そんなことを頭の隅で考えていると、すぐに鍵屋崎の席までたどり着いてしまった。

教室の端から端、その距離約8メートル。

ヨンイルは鍵屋崎の正面に立つと、じっと彼を見つめる。

ヨンイルの視線に気付いているのかいないのか、鍵屋崎は先程と変わらない様子で本

を読み進めている。

 

正面から見た鍵屋崎は、後姿から抱いた印象と全く変わらない印象をヨンイルに抱か

せた。

小さな顔に、白い肌。その顔は恐ろしい程に整っていて、綺麗だ。同じ男であるヨン

イルさえも見とれてしまいそうになる程に。

鍵屋崎を見つめたまま、しばらく言葉を失っていたヨンイルだったが、自分の席で心

配そうに手を振っているワンフーが視界に入り、ハッと我にかえり、慌てて声をかけよう

と口を開く。

 

「…………あっと、ちょぉ話あんねんけど、ええか?」

 

にかっと笑って鍵屋崎を見れば、声をかけられた当人は、

ヨンイルを見ようともしないで黙々と読書を続けている。

 

「あの、もしもーし。聞こえとる?」

 

周囲の喧騒で聞こえなかったのだろうかと思い、もう一度声をかけてみるも、鍵屋崎

から何かしらの反応がかえってくる様子は一向に見られない。   

これは所謂故意の無視、シカトというやつであろうか。

鍵屋崎の態度と、先に自分が謝罪をしに行った際の安田の態度が重なり、らしくもな

い苛立ちを覚えてしまう。

 

(そっちがそのつもりなら、こっちにだって考えがあるで)

 

鍵屋崎の名前…確か、直言うとったなぁ…。

 

ニヤリと何かを企むようにヨンイルは笑った。

そんな笑顔を教室の端から見たワンフーは、嫌な予感に顔をひきつらせる。

今にもこちらに駆けつけてきそうなワンフーを視界から追い出し、ヨンイルはすっと息を吸い込んだ。

 

 

「なーおーちゃんっ!こっち向いてぇや!」   

 

元気いっぱい。さっきよりも倍の音量で声をかける。

その声は昼休みで騒がしいクラス中に響き渡った。

 

………直ちゃん…?

 

あれだけ煩かったクラスの喧騒が、ヨンイルの言葉にピタリと止む。

自分の発言が生んだ思わぬ効果に少し戸惑いつつも、まだ本から顔を上げようとしな

い鍵屋崎に、ヨンイルは諦めることなく声をかける。

 

「つれへんなぁ直ちゃん、こっち向いてぇや!俺と直ちゃんの仲やろ?」

 

今さっき相手をこの教室にいる人間と認識した程度の仲だが。

実際は一度も面識のない鍵屋崎に、ヨンイルはさも親しい仲のように声をかけた。

ちらりとワンフーに目をやると、ポカーンと間抜けに口を開けて、呆然としている。

 

なんやあのマヌケな面はと吹き出しそうになるのをヨンイルは必死に堪え、鍵屋崎へ

と視線を戻した。

 

瞬間、冷たい目と正面からぶつかる。

 

鍵屋崎が本から顔を上げたのだ。

 

鍵屋崎の瞳からは、あからさまな不快の色が読み取れた。

 

その目のあまりの冷たさに、ヨンイルは一瞬怯みそうになる。

 

 

「……その呼び方、やめてもらえないか。不愉快だ」

 

 

鍵屋崎と目があったことで、一瞬声を失ったヨンイルをその黒い双眸に映し、

鍵屋崎は初めてその口を開いた。

儚げな面差しとは正反対の不遜な物言いに、ヨンイルは意表をつかれ、目を瞠った。

言いたいことを言えて満足したのか、鍵屋崎は冷たい双眸を再び手にしている本へ

と落とす。

 

(って、まだ話は終わってへんで・・・!)

 

むしろ話してもいない。

 

 

 

「不愉快って、たかが呼び方でそないなこと言わんでもええやん!

酷いわー直ちゃん、俺のガラスのハートが砕けそうやわー」

 

 

ヨンイルが普段の調子でおどけて見せると、鍵屋崎の目は更に剣呑さを増した。

ヨンイルの存在自体が不愉快だとでも言いたげな瞳に、ヨンイルは笑みを奇妙にひきつらせる。

 

 

「・・・・・・ヨンイル・・・とかいったな」

 

「・・・・・・・へ?」

 

 

鍵屋崎の言葉に、ヨンイルは間抜けな声をもらしてしまった。

それもそうだ。ヨンイルは鍵屋崎に自己紹介も何もしていない。

それなのに、今、名前を呼んだ。

 

 

 「まさか、『なんで俺の名前を知ってるんだ?』とか馬鹿なことを

思っているんじゃないだろうな?」

 

鍵屋崎は読心術でもあるのか。

ヨンイルが思ったことをズバリ言い当てる鍵屋崎に、ヨンイルは

ポカンと間抜けに口を開ける。

 

「・・・いや、その様子だとどうやら本当に思っているらしいな。

君を含めクラスの人間が低脳であることは充分承知しているが、君はその中

でも最悪だな・・・。・・・・・・入学して1ヶ月も経っているんだ、

クラスの人間の顔と名前くらい当然覚えているに決まっている。

まあ僕の場合は君等に何の興味や関心もわかないから、覚えようとして覚えたわけではないが」

 

 

鍵屋崎の発言に、静まり返っていた教室がざわめきだす。

ヨンイルが何を言っているのかと耳を傾けるまでもなく、その9割方が鍵屋崎の

今の発言に対しての批判だと安易に想像がいた。だが誰も彼も、鍵屋崎の悪口を互いに声

をひそめて耳打ちしたりするだけで、鍵屋崎を直接糾弾したり、掴みかかったりするものは一人もいない。

 

 

 (・・・・・・?)

 

 

私立の学校で、全寮制の男子校。金さえ払えば入学できる学校ということで、

暴力に物を言わせる人間も少なくない。それだけに、ヨンイルは今の状況を一層不思議に思った。

男とは思えないほどに細く、非力そうに見える鍵屋崎は、真っ先にその暴力の犠牲になりそうなものだが・・・・。

 

 

(安田と“親しい関係”やからか?それにしては・・・・)

 

 

ヨンイルは自分が低脳呼ばわりされたことに怒ることはなかった。むしろこんな風に

面と向かって自分をなじった人間など、一ヶ月前に西寮のトップになり、

『西の道化』などという異名をつけられて以来初めてだったので、怒るよりも驚いてしまったくらいだ。

教室の喧騒か、はたまたヨンイルの反応に更に気分を害したのか、鍵屋崎は読んでいた本

を閉じ、勢い良く椅子から立ち上がった。

見下ろす位置にあった鍵屋崎の顔がいきなり近くに迫ってきて、ヨンイルは驚いて一歩後じさった。

 

 

 「僕は低脳が嫌いだ。だがそれ以上に嫌いなものがある。それは、読書を邪魔

されることだ。・・・・・・ここまで言えば君ほどの低脳でも僕の言わんと

していることがわかるだろう?

非常に不愉快だ。僕の前から即刻消えてくれ」

 

 

 吐き捨てるようにそう言った鍵屋崎に、ヨンイルが口を開こうとするも、教室中に響いた

怒声にその声はさえぎられた。

 

 

 「もう我慢できねえ!!!」

 

 

ワンフーだった。

驚いて声のしたほうを見ると、ワンフーが怒りに顔を歪ませてこちらに歩いてきていた。

「げっ」という声が、思わず口からこぼれ出る。

 

 

 (うわっ・・・すっかり忘れとったわ、ワンフーのこと・・・・)

 

 

 

 鍵屋崎の言葉通り、確かに俺は低脳なのかもしれん・・・。

 

 

 

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